原体験はスイス。「好き」から育まれる豊かな庭と、唯一無二の農ある暮らし

長野県農ある暮らしアドバイザー/garden山屋 山村まゆさんの耕し方 2024.07.08

長年、移住したい県として根強い人気を誇る長野県では、特に「農ある暮らし」を求めて移住する人が多い。

そのようなニーズに応えるための長野県の専門職「農ある暮らしアドバイザー」が塩尻市は平出(ひらいで)にいるという。

アドバイザーとして5年以上活躍されているのは、山村まゆさん。山村さんはその他にも、築180年を超える古民家の裏庭で、花や野菜、ハーブを育てながら、信州らしい豊かな農ある暮らしを提案する「garden山屋」を営む。土や自然に親しむ暮らしを求める人々を中心にファンも多く、憧れの存在になっている。

しかし、そんな山村さんも元々は東京生まれ。移住前はむしろgarden山屋が提案しているようなライフスタイルに憧れていた一人だったという。山村さんが塩尻の古民家に出会い、今のようなライフスタイルを築くに至ったきっかけとはどのようなものだったのだろうか。

人生の転機になったスイスでの農業研修や、産休中にはじめたというというgarden山屋の誕生秘話、そして理想的な農ある暮らしの実践者として知られるようになった山村さんが次に見据える夢について、山村さんが手がける緑豊かな裏庭で話を伺った。

 

暮らしと仕事が融け合った、唯一無二のライフスタイル

取材で伺ったのは、平出遺跡からもほど近い、畑と家が立ち並ぶ集落。

その中に、garden山屋の古民家はあった。信州らしい立派な本棟造りの古民家の軒下に、様々な草花が咲き誇っている。


古民家の奥に進んでみると、長野県農ある暮らしアドバイザーで、garden山屋のオーナーでもある山村まゆさんが笑顔で出迎えてくれた。

「こんにちは。今日はよろしくお願いします。よかったらまずは庭からご案内しますね」

表向きの日本的な古民家とはうって変わって、裏にはまさに西洋的な「garden」が広がっていた。


ただ、普通の西洋風の庭園と違っているのは、花一色、ハーブ一色ではなく、大きさも色も、種類も様々な草花が入り混じって育てられていること。

「初めて来た方はよく驚かれるんです。野菜畑、ハーブ、花、山菜まで好きなものをミックスした庭になっていて。じゃがいも、ルッコラ、ラズベリー、フェンネル、ミョウガ、タラの芽も一緒に生えています。草も生えているけれど、何かのついでに間引くくらいで、なるべく自然の力に委ねて育てています」

育てられている植物は数百種類にもおよび、山村さんがお皿やブーケで表現したい多様性がそのまま庭にも反映されている。

「garden山屋では、庭でとれた野菜を料理にしたり、ハーブを摘んできてそのままハーブティーとしてお出しすることもあるし、朝、摘みたてのガーデンブーケも販売します。お皿に盛り付けるなら色とりどりの様々な野菜があった方がいいし、ハーブも何種類もブレンドした方が香りが豊かになるし、ブーケにするにもいろんな種類の草花があった方がいい。表現したい出口があって、理想の形を考えながら育てていたら、いろんな種類の植物が共生した賑やかな庭になりました」

きっちり管理された農場や庭園とはまた違った、草花の伸び伸びとした自由で多様な美しさがあり、そこに身を置くだけで心地よい気分になる。


garden山屋での土に根ざした生業の一方で、山村さんは県の農ある暮らしアドバイザーとして県内各地のみならず東京まで飛び回る。

「最近は特に、農ある暮らしに憧れて移住を考える人も多いんです。そういう人たちの移住相談から、どんな野菜を育てたら良いかといった栽培相談や、東京での農ある暮らし移住セミナーなども行っています」

逆に山村さんのSNSを見て農ある暮らしに憧れを持ち、相談や見学に来る場合もある。garden山屋とアドバイザーの仕事は別々のものではなく、緩やかに繋がっている。

言うなれば、暮らしが仕事で、仕事が暮らし。

異なる役割、仕事が曖昧に溶け合っている山村さんの在りようは、見る楽しさや食べる楽しさなど、多様な価値が入り混じった庭とも通じているように感じられた。

 

農ある暮らしの原体験はイギリスとスイスに

取材の合間にも、山村さんは私たち取材チームに庭先で摘んだばかりのハーブにお湯を注いだハーブティーと、庭でとれたルバーブとラズベリーのクラフティを振る舞ってくれた。

左/右:山村さんの料理は口に美味しいだけでなく、目にも美しく映る


取材の前半だけでも、雑誌の特集で紹介されるような理想的な暮らしを体現されていて、惚れ惚れしてしまう。毎日こんな暮らしができたらどれだけ豊かだろう。

「優雅な生活のイメージを持たれるのですが、実際にはいつも慌ただしい日々ですよ。アドバイザーの仕事もあるし、子育てもあるし。自分のためにはこういう丁寧な暮らしはなかなかできなくて、冷蔵庫の中にあるもので済ませることもあります。こうやって誰かが来てくれると、喜んでもらいたくて、頑張れるんです」

そんな山村さんも今のようなライフスタイルにたどり着くまでに、14年以上の年月がかかったという。

「もともと、東京生まれのマンション暮らしだったのですが、農ある暮らしにはずっと憧れていました。だから、進路は農業高校しか行かないって早くから決めていて。純粋な生産農家になりたいわけではなかったので、都内の農業高校で園芸を学び、さらに恵泉女学園短期大学の園芸生活学科に進学して、全寮制のもとで園芸を学びました」

底上げ“レイズドベッド”で多様な種類の草花を育てる方法はイギリスで学んだ

野菜も花もハーブも入り混じった多様性のある庭を目指すようになった一つのきっかけは、イギリスでのガーデニング研修に参加したことだった。

「イギリスのある庭園では食べられる野菜もあれば、ハーブも花も混ざっていて。見た目に美しく、食べる楽しさもあった。それが当時の私には衝撃的でした。それだけじゃなく、土や植物に触れることで癒されるという園芸療法という考え方も大切にされていて、庭園が車椅子の人でも入れるようなバリアフリーになっているところもあって。日本とイギリスとで園芸の文化の違いにカルチャーショックを受けました。そういった経験が積み重なって今のスタイルに繋がっていったと思います」


卒業後は、園芸に近しい、ドライフラワー店や生花店に勤めるも、長くは続かなかった。

「きれいに段ボールに仕分けされた花を取り出して、お客さんの要望でさらに花を選り分けてブーケを作って、というのが私には不自然に思えてどうしても苦手で。変に力が入っちゃってうまく作れないんです」

そんな山村さんにとって人生を大きく変える転機になったのは、約2年間のスイスでの農業研修だったという。

「24歳のころ、スイスに農業研修に行ったんです。農業研修といっても、スイスの農家の奥さんに郷土料理を教わって昼食を作ったり、窯焼きでパンを焼いたり。初夏にエルダーフラワーのシロップを作って冬の喉が痛い時に飲むとか、セージの葉っぱをお湯で煮出してうがいするとか。365日中の300日くらいは家政婦のようにスイスの家庭で働いて、スイス流の農家の暮らしを学びました」

この時の体験が、四季とともに移ろう暮らしを楽しむ、今の山村さんのスタイルに繋がっていった。

スイスの農業研修の様子(写真提供:山村さん)


産休中の庭いじりから始まった、garden山屋

帰国して、いよいよ小さい頃から思い描いていた、農ある暮らしへの思いが高まり、移住先を探していたところ、知り合いの実家が空いているという話を教えてもらった山村さん。その古民家がある場所こそが、ここ塩尻だった。

「来てみて感動したのが、塩尻って日本のスイスなんです。レタス畑やブドウ畑の向こうにアルプスが見えたり、アスパラガスやあんずなどといった特産品も、気候も風土も、とても似ていて」

27歳のタイミングで、思い切って塩尻に移住。農業公園のチロルの森で石窯パン焼きの仕事も見つかり、ついに農ある暮らしの第一歩を踏み出すことになった。

そこから子どもを授かり産休中に、山村さんは庭で育てていた花やハーブ、野菜たちを生かして、小さく商いを始めることにした。

「子どもを育てていても、自分の手を動かして何かをつくりだすことは大事だなと思った時、たまたま庭の草花が目に入って。『ただ一人で眺めて枯れていくのももったいない!』と草花を束ねてみたり、サラダ野菜セットやハーブを出荷してみることにしたんです」


「ただ、市場で販売するときに、“サラダ 山村 300円”だと格好が悪いので、いま住んでいる古民家の屋号を借りて、“garden山屋”と名乗ったのが今の生業の始まりです」

十数年間で様々なマルシェやイベントに出店した(写真提供:山村さん)

庭と畑を慈しむ、山村さんの等身大の暮らしを表現する小商いとして立ち上がったgarden山屋。

その後も、庭で採れた野菜やハーブを使ったスイスの郷土料理を振る舞うワークショップを開いたり、原村の高原朝市で自家製ドライフラワーや朝の摘みたてガーデンブーケを販売したり、松本のLABORATORIOのマルシェにも10年以上出店していく。

実店舗を持たないスタイルで緩やかにgarden山屋を営んできた山村さんは、十数年の間にファンを増やしていった。


次に目指すのは「Garden to Table」を体現した飲食店

小さい頃から夢見てきた農ある暮らしを体現し、多くの人から憧れられるような唯一無二の暮らしを作ってきた山村さんは、これから先にどんな理想を思い描いているのだろうか。

「農業研修の時に慕っていたスイスのお父さんには、“40歳までに好きなことをやればいいよ”と言われてきたけど、あっという間にその年齢も過ぎました。二足のわらじでgarden山屋とアドバイザーをやっている現状から、そろそろgarden山屋を主にしていきたいですね」

そう決意する後押しになったのは、お客さんからのある一言だったという。

「たまたま訪れた男性のお客さんから、“山村さんの出してくれる食事はほんものですね”って言ってもらえたんです。いまの時代、SNSでうまく発信すれば誰でも世界観をつくれる。だからこそ、ほんものを見失いそうになる。そういう時代の中で、そう言ってもらえる機会が何度かあって、それがとても嬉しかったですね」


自分自身の心と身体に正直でいることで、ほんものを目指してきた山村さん。これから目指していきたいコンセプトとして、山村さんが考えているのは、「Farm to Table(農場から食卓へ)」ならぬ「Garden to Table(庭から食卓へ)」だ。

「garden山屋では、“農業”ではなく、“家庭菜園”や“農ある暮らし”を大切にしているので、庭で採れた野菜やハーブをそのまま調理してお出しできるような飲食店をやりたいです」

ただ、この場所は市街化調整区域という都市計画上の規制があり、飲食店を開くハードルはとても高い。

「第一歩としては、まずはgarden山屋の世界観に共感した方々に、四季折々の手料理を学べるワークショップをやりながら、飲食を提供するような緩やかな場を目指していきたいですね。手作りのパンやお菓子、季節の農作物、ガーデンブーケなどgarden山屋にしか作れないひと箱を定期便で送ってみたいです」

さらに、山村さんは「Garden to Table」の範囲をgarden山屋だけにとどめず、塩尻という風土を一つの「Garden」に見立てていきたいとも意気込む。

「塩尻は農作物も豊かで、ワイナリーもたくさんあるし、生かしきれていない資源がたくさんあって、もったいないと感じています。そういうものをgarden山屋ならではのセレクトでかけ合わせて、多くの人に楽しんでもらえるようなピクニックを企画したりもしたいですね」

garden山屋の山村さんが提案するのは、誰もが憧れるような理想的な農ある暮らしでありながら、手の届かない遠いどこかのライフスタイルというわけでもないように思えるから不思議だ。

農ある暮らしは限られた人たちだけができる特別なものでなく、足元に何気なく生えている草花に気づき、慈しみ、それを楽しむ心さえあれば誰もが今日から実践することができる、ふつうの暮らしの中にある幸せなのかもしれない。

 


取材:2024年5月

text:北埜航太(三地編集室) photo:遠藤愛弓

 edit:近藤沙紀(三地編集室)、今井斐子

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